安っぽいシャンデリアと、着飾った女の子たち。お酒の匂いと社交辞令の会話と笑い声。
その中で、確かにあの人は、真実だったのだ。









虚構のリアル






「どうも、お妙さんお久しぶりです。遊びに来ました!」


いやだわ、どうもなんて親しいそぶりで近づいて、私が話してあげるのなんてここでだけなんだから。お仕事なんですもの。


「いらっしゃいませゴリラさん」

お妙はにっこりと首をかしげてはいるものの、まったく感情のこもらない声でそう言った。
近藤はそんな態度にもかかわらず、機嫌よく席に腰掛けた。


非番なのか、今日は私服だ。
というのも、何度も隊服のままやってきて他のお客に逃げられたことが多々あり、前回の来店の際に、 来るなら非番の私服のときに来い、むしろいい加減来るなと念を押して(焼きを入れるとも言う)おいたからで。
近藤の隣に腰を下ろす。当の本人はやっぱり愛想よく笑いながら、駆けつけ一杯のビールを干した。


「お妙さんは何飲みますか!ウーロン茶とか?」
「ええ、それでいいです」


おざなりに答えながら、空になっているコップに二杯目のビールを注ぐ。
仕事じゃなかったらこんなこと絶対にしないのに。そんな風に思うのは近藤が相手のときだけで、 常連であれ一見であれ自分はきちんと割り切って仕事をしている。売上だって確かにいいし、 この仕事で嫌なことなんてほとんどない。やりがいだってあると思う。
それなのに、この人が相手だと急にリアルに帰ってしまう。この場所は、現実とは別世界でいるつもりなのに。


それが、なんだか負けているようで悔しい。



手酌でビールを飲みながら近藤は楽しげに一人喋っている。他の席からは楽しげな女の子たちの声が聞こえてくるのに、 自分と言えば無反応も甚だしい。嫌な子だ、と心の中で悪態を吐く。


「そうだ、今日はお土産があるんです!これ」


近藤は懐から包みを取り出すと、お妙に手渡した。白い紙には江戸一と言われる小間物屋の名前が印字されている。
包みを開けると、艶やかに美しい櫛が一つ入っていた。
黒地に赤い花を散らした模様で、表面にシャンデリアからの光が反射している。


「もうすぐうちの上司の娘さんの誕生日でね、プレゼントをと思って小間物屋に行たんですけど、 それがお妙さんに似合うと思って」


にこにこと近藤は話す。いい御身分だ。きっと高かったに違いない。そんなものをキャバクラの女に買ってやったり。 上司の娘のプレゼントやらをさっさと買って、こんなところになんか来なければいいのに。
黒く揺らぐ気持ちが形をもって心の中で鎌首をもたげた。なんだっていうの。お妙は櫛を手にその場に立った。


「肝心の栗子ちゃんの、あ、栗子ちゃんって上司の娘さんのことで、結局その子のを買うのをわすれちゃって、 ってお妙さん?どうしたんですか、え」




お妙は、力の限りに手の中の櫛を折った。





「え、ええええええ、ちょ、そんなに嫌だったんですかァァァァ!?」


近藤の叫び声を聞きながら折った櫛をテーブルに置く。手を払うと細かい破片がぱらぱらと落ちた。
唖然としている近藤の前にあったビールをお妙は掴んで勢いで飲み干す。アルコールが喉を焼く。
かん、と音をたててコップを櫛の横に置いた。



「私は、どんなに立場が違うかろうと、あなたとは対等でいたいんです。 だからこんな高価なもの、いりません。今後もこんなことしないでください」
「で、でも、客ですし」
「そういう問題じゃないです」
「え、でも、ってあれ、これ俺があげたやつじゃない…?」


近藤はテーブルの欠片たちを見てつぶやいた。立ったままのお妙を見上げると、懐からさっきの櫛を出した。


「ええ、それは私のです。さすがにもらったもの壊すほど常識知らずじゃありません」
「お妙さん…」


自分で言っていてもう何がなんだか訳がわからない。客とキャバ嬢に対等も何もないのに。
アルコールの入った頭でものを考えるのがだいたい無理なことで、どんどん体温が上がっているのがわかる。
もうよくわからない頭で、とりあえずさっきまで自分の櫛を挿していたところにもらった櫛を代わりに挿した。



「今日はもう、帰ってください」
「…そうですね、そうします」






勘定を済ませたあと、店先に見送りに出る。
向かいもとなりもネオンがまぶしく、入ってくる人こそいるが出てきたのは近藤だけのようだ。
この時間だから当然だ。


「また来ます」
「もう来ないでください」


お互いにっこり笑う。この会話は毎回のことだ。社交辞令、みたいな。


「櫛、似合ってます。よかった」


べつに嬉しくないです、とか、櫛が可愛いからであなたのおかげじゃないわ、とか嫌味が何個か浮かんだけれど、 なぜだかこれだけが口をついて出た。



「ありがとう」



近藤は手を振って帰って行った。夜気がアルコールで火照った頬にざわざわと触れる。
お妙は、他の客の相手をするために別世界へと戻って行った。







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07.11.13
江戸時代、旦那の前で櫛を折るはものすごくあんたが嫌いだから別れろ、って意味だったらしい
って話から。結婚してねえけど(笑)お妙さんは究極のツンデレだとおもう。