まほうは手のひらに







まほうは手のひらに







葬式が終わったあとの、三日前とは変わり果てた縁側に座っているケンジの姿を、カズマは後ろからぼんやりと見ていた。 葬式の片付けなんて、大人がわんさといる今の状況じゃ、子供の自分たちはどうせ何もすることはないのだ。 たぶん夏希だって、どこかでぼんやりしているのだろう。部外者であるケンジはなおさらそうだ。居場所がないわけではないけれど。声をかけようか、迷う。
すると、その横をするっと通り過ぎたのは、侘助だった。ゆらりと揺れた片手には、携帯を持っていた。 ケンジの隣に無造作に座った侘助は、二、三言葉を交わして、携帯の画面を見せている。ぼうっとした様子だったケンジの顔がぱっと明るくなる。 そして勢いよく立ちあがると、立ちつくしていたカズマなど目にも止めずに奥の部屋に走って行き、今度は手にいつものレポート用紙とペンを持って駆けてきた。 その様子を侘助は愉快そうに微笑んで、その携帯を床に置く。ケンジはぱっとレポート用紙をめくり、昨日と同じように素早くペンを走らせ始めた。 どうやら、面白い数学の問題でも持ってきたようだ。東大卒なのだから、そんな伝手はいくらでもあるのだろう。

あの視線。

こちらには見向きもしないのだなと思う。あの人のあの目は、数字のものなのだなあとしみじみ思う。 ペンを持つ手が走る。あの視線が、あの手が一瞬でも自分に向けば、どんな気持ちだろう。


「ばかばかしい……」


呟いたところで、ケンジは問題を解き終わったようで、勢いよく顔をあげた。 なにか熱弁をふるっている声を背中に聞きながら、カズマはそこを離れた。気付け、なんて思いながら。














「ねえ、おじさん」
「なんだキングカズマ」
「今はキングカズマじゃない」


知ってるよ、なんて侘助は言うと、なんだと言いたげにこちらを見る。飲みかけのビールを畳に置いて、でも携帯は離さない。 昨日からその調子だ。たくさん連絡が入ってくるのも道理なのだとは知っているけれど。そう思いながら、右手に隠した油性ペンをぎゅっと握る。


「さっき、何してたのさ」
「ん?あいつの計算してんのって、見てんの面白いじゃねーか。本人も楽しそうだしな」
「確かにね」


ケンジは風呂に行ったようで、辺りには見当たらない。カズマは息を整えて言う。


「僕も見たいから、なんか問題教えてよ。手のひらに書けるくらいの短いのでいいし、なんかないの?」
「パソコンで適当に調べりゃいいじゃねーか」


意地悪そうに肩をすくめると侘助はそう言う。携帯がくるりと手の中で回る。


「数学詳しくない僕が調べられる程度の問題じゃ、あの人喜ばないでしょ」
「は、そうだな。おら来い」


カズマは油性ペンを侘助に差しだしながら、床に座った。左手を差し出す。侘助はそれにさらさらと何か書く。 数学なのだろうな、という位しか分からない。未知の領域が今手のひらの中にある。


「ほらよ」
「……ありがと」


キャップを閉めた油性ペンを返されて、立ちあがる。手のひらをもう一度見ていると、またビールに口をつけながら侘助が呟いた。


「すっかり夢中だな」
「な、にが」
「mathmatics boy」
「はあ?」


侘助はくっと笑うと、庭の方を向いて何も返事をしなかった。わざと足音を大きく鳴らして、そこを離れた。 手のひらをギュッと握りしめる。魔法の呪文を手に入れたらこんな気持ちなのかも知れないと、背中がぞくぞくした。














「あ、カズマくん、お風呂」


廊下を行ったり来たりしていると、風呂上がりのケンジにばったり会った。ギュッとしたままだった手を、見ていた顔をあげる。


「あのさ、数学の問題持ってるんだけどさ、やる……?」
「えっ、どうしたの?なに?」


まだ赤い顔が、さっきと同じようにぱっと輝く。


「ここに書いてある」


握ったままの手を見せる。まだ開いちゃいけない、と自分に言い聞かせてケンジの顔の前に出す。 ケンジはそれをじっと見て、躊躇なく手首を掴んですたすたと歩き出した。

「え、ちょっと、まっ、」
「ここじゃ解けないからさ、とりあえず来てよ」


さっきとは打って変わって口調が断定的になる。カズマはその裏面に胃の底に氷を落とされたような気持ちになる。 少し怖いのにもっともっとと思ってしまう。こっちを見て、その目で。
ケンジの荷物が置いてある一部屋に着くと、あっけないほど簡単に手は離されて、ケンジは立ちつくすカズマに目もくれずにレポート用紙とペンを出した。 勢いよく表紙をめくると、ペンを構える。
そのケンジの目線に促されて、すぐそばにしゃがみこむと、恐る恐る手を開く。緩やかに曲がった指で手のひらが陰る。 ケンジはそれが気に入らなかったようで、空いている左手で、カズマの手をぐっと広げた。ペンを持った手の人差し指で、手のひらの数式をすっとなぞる。


「あ、」
「ちょっと黙ってて」


話しかけたわけではなかった。勝手に零れたのだ。あまりにもその視線の強さのせいで、その真剣な指のせいで。 でもカズマはその一言で、確かに思ったのだ。きっとそれが欲しかったのだと。
手を抑えつけながら、片手が紙に走り出す。じっとそれを見ていた。ときどき手のひらに突き刺さる、ケンジの視線が痛いほど心地よかった。 手くらいで良かった。もしこれが、それこそお互いの目だったら、きっと、死んでしまう。


「あ、解けた」


ケンジはあっさりそう言うと、同時に手を離した。上機嫌なケンジを横目にカズマは急いで手を背後に隠した。心臓が跳ねる。 手のひらの魔法は、汗でぐっしょりだ。そんなことも気付かずに、ケンジは笑う。


「あ、ごめんね、ありがとう。すごく楽しかった!」
「……うん、こっちこそ」


一瞬不思議そうな顔をしたケンジに、じゃあねとだけ言うと、部屋を出る。廊下を走る。十分離れた所で、ゆっくりしゃがみこんだ。手のひらが熱い。 ギュッと左手をにぎったまま、右手を重ねて胸元に当てる。体中とても熱いのに、手だけは小刻みに震えていた。魔法はこの手の中ではなくて、彼の手だったのだ。

こんなにすぐに、もう一度触れてほしくて、仕方ない。














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11.06.06
サマーウォーズ好きです。
ケンジは数学が関わると周りが見えないくらいがいいです。
カズマはそこに怖いと思いながらも興味本位で近づいてっちゃって、ドツボにはまる感じ。