春と修羅 笑ってほしいとか 一緒に笑ってたいとか ごめんとか そういうこと。 「ば、っかじゃねーのほんと」 「あーはいはい、いいってもう。ちょっと声落とせ。いい加減夜遅いんだし」 「余裕ぶっこいてんじゃねーっつの」 「だったらなんだって言うんだよ!ああ?さっきからどーでもいいことでいちいち怒りやがって、八つ当たりかなんかか?こっちだって疲れてんだからいい加減にしろ」 「……っ、じゃあもういい」 何でそんなことを言ったのかは自分でもわかっていた。これ以上何を言っても泥沼だからだ。最初っから自分だって怒りたくなんかなかったし、 そしてそんな態度をとっている自分も悲しかった。 なんなんだろう、俺って、こいつのこと好きなんだよな。 襖を閉めると思った以上に大きな音がして、自分でちょっとビビった。きっと土方はその音を聞きながらまたイラっとしたりしてるんだろう。 それについても自分で嫌だ、と思う。不本意な感じ。靴を履いて、ザクザク庭を横切った。羽織が風になびいて薄く映っている影が柔らかく揺らいだ。 それを引きとめるように、後ろから声がした。 「旦那!」 「…ジミー?」 隊服姿の山崎が驚いたような顔で追いかけてきた。まああんだけ大きな声出してたんだから、まあ気付いて当然ではあるだろう。 そんなことを思いながらも片手を塀に掛ける。よいしょ、と勢いをつけて体は重力に反して持ちあがる。 「旦那ってば!そんなところから帰ったら、副長に怒られますよ」 「もうすでにケンカ済みじゃん」 「そういう問題じゃないですよ…そんなところから出たら不法侵入があったみたいに思われるじゃないですか」 銀時は適当に頷いて、そのまま塀の上に登ってしまう。もう山崎は止めるのは無理だと思ったのか、おとなしく見上げながらはあ、とため息をついた。 「正真正銘不法侵入だっつの、元から。関係者じゃないんだし」 「副長が許してんだって、知ってんでしょう?」 「さあね」 手を軽く振って、塀から飛び降りた。アスファルトに着地する軽い音。銀時は少し後ろを振り返ってから、大股に歩きだした。 今更謝ったりできないことも知ってる。こういうことが積み重なって、いつかこんなふうな壁になるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。 怒りたくなんかないんだ。あいつも悪くなんかない。ただ、自分が大人になりきれてないだけだ。優しく笑ってやるなんて、 望まれてもいないけど、ただ普通に楽しいとか面白いとか思うことを、一緒に感じてられたらいいのに。素直にそうできない自分が悲しい、とは思う。 そうできない、自分が悲しいし、悔しい。 ただどこかで安心しているのかもしれない。感情的に怒っても、ケンカ別れしても、大丈夫だと。お互いにそういう感覚でいるのかもしれない。 でも、それがいいことだとも思わない。 銀時は街頭がぽつぽつと灯っている道を、大股に歩く。春の生ぬるい空気は無意味に髪を揺らす。 どこからか桜の花びらが飛んできて、そのまままた風に乗り見えなくなった。 「さてと」 ぐんと伸びをして、同時に壁にかかっている時計を見た。夜中の一時すぎだ。屯所内はしんとしている。まあ当然だろう。 こんな時間までデスクワークをしているのは土方くらいのものだし、あとは寝ているか、夜勤で外にいるか、飲みに行ってるかくらいしか予想できない。 机の端に乗っているタバコはまだ二、三本ある。そもそもストックならちゃんと用意してある。 この時間はもういちいちめんどくさいので何か食べたりも、コーヒーを淹れたりもしない。それなのに、土方はゆっくりと立ち上がり、私服の上から上着を羽織った。 外はまだ少し肌寒い季節だ。 玄関で草履を引っかけたところで、薄暗い廊下から足音が完璧に消されたその気配を背後から感じた。土方は沖田か山崎のものだと直感する。 「旦那探しに行くんですかィ」 総悟か、と内心でため息をついて、返事をする。 「わざわざ探すか。いい大人だぞ」 「じゃあなんだってこんな時間に?」 「だったら、こんな時間に起きてるてめーはなんなんだよ。さっさと寝ろ、ガキ」 手に掛けていた引き戸を勢いよく開けて、沖田の顔も振り返らず土方は後ろ手で閉めた。紺色の闇に、玄関から漏れた薄い明 かりが、足元を照らしていた。それを踏みしめるように土方は歩きだした。 「じゃあその大人とやらは、素直になっちゃあいけねえのかねェ、なあ山崎?」 「あ、いるの気付いてました?」 「たりめーだろィ」 沖田は玄関を向いていた顔を振り向いて、山崎を見た。明かりの落とされた廊下から静かに山崎が出てくる。流石にこの時間 だからか二人とも私服姿だった。 「……素直になれないから、お互い楽しいんじゃないんですか。あんな二人ですから」 「そうかもなあ、馬鹿だねィ」 くだらないように感じている沖田の言いぶりに、山崎は肩をすくめて笑った。その余韻が静かな空気に広がって、ぼんやりと間伸びして消えた。 「寝るか」 「そうですね」 銀時は下を通り過ぎていく車を見降ろしてから、空を仰いだ。江戸の夜空はいつも曖昧に明るくて、星の所在は掴めない。 繁華街から少し離れたこの歩道橋は人通りも少なくて、なんとなく帰りづらい銀時にとってはありがたかった。 夜中でも車の交通量はそこそこあって、通り過ぎていくシルエットを眺めてはまた空を見上げたりしている。 時々ゆるやかな風が吹いて、近<くの公園からだろうか、桜の花びらが飛ばされてくる。たぶんそうして二時間は経っているだろう。 錆の浮いた手すりは、銀時の体温が移って暖かくなっていた。 階段を上って来る音がした。こんな深夜に、と思ったがそんな時間にこんなところにいるのは自分も同じだ。 じっとしていれば、通り過ぎてゆくだけのことだ。視界の端に階段を上ってきた人物の頭が、そして黒い着物が映る。銀時は目を閉じた。 (ほんと、馬鹿) そう思ったのは、彼に対してだったのか、自分に対してだったのか。 土方はその、風になびく白い頭を見ながら、あえて声はかけずに反対側の手すりにもたれた。銀時は振り向かない。 二人しかいない歩道橋の下を、低くうなりを上げながらトラックが通過していった。まっすぐに前を照らすヘッドライト。 その強い光でも二人の足元すら照らしはしなかった。 「今って、何時?」 「さあ、もう二時近いんじゃねえか。こんなとこでなにしてんだよ」 「こんなとこにいるのよく見つけたね」 土方は、相変わらず振り向かないが話始めた銀時に少し安心して、懐からタバコを取りだした。ライターの小さな灯が指先を照らして、消える。 「俺が、お前を探す理由なんて本当はわかってんだろ?」 「……わかんねーよ」 背中から少し笑うような気配を感じる。ちょっとだけ、さみしそうな、そんな。 「わかんねーよ、お前のことなんか。わかりたいけど、わかんねーまんまだよ」 「そうか」 「うん。自分がこんな性格だってわかってるし、お前もまあ、ぶっきらぼうな方だってのもわかってるけど、 ケンカとかしたいわけじゃねーし。ほんとは、なんつーの、お前に対してイライラしたくなんかないよ。一緒に笑ってられたらいいなとか、そんなさあ」 後ろ姿の銀時は、時々詰まりながら、呟くように言う。右手がもどかしいように頭を掻いた。 その言葉の一つ一つを逃さないようにじっと、土方は動かずに聞く。 「お前にイラついてる自分に、イラつくんだよ。もっとこう、うまく言えないもんかな、って」 銀時はやっと手すりから体を起こして、ゆっくりとこっちを向いた。 手すりから腕が離れると、自分の体温と同化していたぬくもりが離れてかえって寒く感じた。触れた最初は冷たく感じたのに 不思議なものだ。なくなると物足りない。それこそ、目の前のこいつみたいに。土方が口を開く。煙草の煙がふわりと宙を舞った。 「俺は、そういうとこも含めておまえのこと好きだからいいよ」 「…え」 「俺だってお前のことなんかわかんねーよ。でも仲間とも家族とも違う感じで、お前と何にも気にしないで怒鳴り合うのも、 居酒屋で馬鹿話して笑うのも、約束すっぽかされんのも、同じ布団で寝るのも、全部まとめてお前だからそれでいい」 土方はゆっくり二歩踏み出して、銀時の隣に来て手すりにもたれた。下の道を見降ろすような恰好で、照れることもふざけることもなく続ける。 「そりゃイラつくことも、うまくいかねーこともあるけどよ。銀時、お前は違うのか?」 近くでするその声が、いつものタバコの匂いと共に聞こえる。こんなときだけ、あっさり核心突きやがって。確かにそうだ、 納得せざるを得ない。つまりはそういうこと。 「違わねーよ」 「じゃあ、結果オーライじゃねえか」 「なんだそりゃ」 笑いながらふざけるように振った手を、土方は難なく受け止めた。ペタリ、と肌が触れ合う一瞬の沈黙。気付いた時には唇が 触れていた。この温度が当たり前にならないように、大事にできるように、そう銀時は思って少しの間だけ目を閉じた。 「やっぱ寒いな、まだ」 「どっか飲みにいくか?」 「…土方の驕り?」 「どーせ金持ってねえんだろ」 「正解!さすが」 「嬉しくねええええ」 風が吹いた。白に近い、小さな花弁が舞いあげられて二人を取り巻き、通り過ぎる。 いつもの調子に戻った、この勢いで銀時はその言葉を言ってしまおうかと思ったが、思いとどまって止めた。そんな、冗談み たいに言うのは、もったいないようにすら思えたからだ。素直になれない分だけ、もっとずっと大切に伝えたいことがある。 きっと優しくなれる、言葉がある。 (とてもすきだよ) ---------------------------------------------------------------------- 09.03.29 一万打ありがとうございます。一応フリーです。よかったらどうぞ…! タイトルは宮沢賢治の詩集「春と修羅」から。 |